落ち着いた物腰と柔らかな雰囲気が印象的なニンユヤさん。
ニンさんは、2023年にミャンマーから、奨学生として日本へ留学をしにきました。
GOCAでも、いつも笑顔で活躍中です。
インタビューの場では、日本での学生生活や将来の夢、母国での経験など、幅広いテーマについて語ってくれました。
日本へ来たきっかけはなんですか?
「中学1年生のある日、日本の歌「未来へ」を聞いて、なんてきれいな言葉だろうと思いました。日本語を勉強し始め、日本の大学に入りたいと思うようになりました。日本語学校の奨学金制度に合格し、日本の大学で学べることになりました。」

ニンユヤさん
日本へ来た時はコロナ禍でしたが、どうでしたか?
「自分が好きなことをしているから苦労しても楽しかったです。日本が好きだから、頑張り続けられたと思います。他の国にいたら続けられなかったかもしれません。日本に来てからは、日本の季節も好きになりました。」
取材を通して、私は「未来へ」という歌を初めて知りました。ニンさんの語り口からは、日本語との出会いが人生の大きな転機となり、夢へと一歩ずつ進んでいった様子が伝わってきました。 日本に来た時は、コロナの影響で大学入学に必要な試験が中止されていつ再開するかわからない中、勉強を続けたニンさんの努力が実ってよかったです。

インタビューの様子
大学生活はどうですか?
「勉強にも遊びにも忙しいと聞きますが、私は勉強が大変で、遊ぶ時間がありませんでした。また、大学の「留学生会」でグループリーダーになり、運動会や学祭で企画・運営をしました。今年の大学祭では、「いただきマップ」というグループ名で、留学生たちがそれぞれ、母国の食文化や、横浜近辺にある母国の店を紹介します。」

日本の景色(浅草の桜)
お気に入りの場所はありますか?
「鎌倉です。鎌倉の大仏を観光した際に、「仏像建造時には屋根もあった。その後、台風や地震で屋根は倒壊しけれど、仏像は壊れなかった。」という歴史をきいて母国と同じだと思いました。また、日本の海を初めて見たのも鎌倉です。母国と雰囲気も海の色も違いますが、日本の海を好きになりました。これからも、古い歴史を感じる京都など色々な場所を訪れたいです。」
屋根がない鎌倉の大仏さまを当たり前のように思っていましたが、「災害にあっても姿をとどめている仏像」と思いを馳せると感慨深いです。ニンユヤさんがさらりと発した一言でしたが、今年、大地震に見舞われた母国への想いもあったのではないかと思います。

鎌倉で撮った写真
日本文化の好きなところはなんですか?
「私は、映画が好きですが、日本のアニメも、大学生になってから見始めました。アニメは娯楽にもなるし、日本語を学ぶ上では効果的でした。悲しいストーリーはあまり好きではないですが、日本のアニメのストーリーは、悲しくても深いので興味を惹かれます。同時に、絵も綺麗だと思います。」
私がこどもの頃に読んだ50年以上前の本、「ビルマの竪琴」を、挿絵も多いし話題にできるだろうとニンさんに差し出すと「この白黒映画を見ました。日本の方に薦められました。」と言われ、まさか、ニンさんが映画までみていたとは驚きました。それからニンさんは、その古い本をパラパラとめくっては、時おり手を止めて、見入っていました。そして、映画の感想を口にしました。
「国とか地域とか違うけれど心は同じだ、と思いました。」
「ビルマの竪琴」は、日本の敗戦後、子どもたちへ書かれた小説です。主人公は、ミャンマーの戦地に赴きますが、ビルマの僧となって帰還せずに、戦友の屍を弔い続けます。人と心を通じ合わせる大切さを全編にちりばめながら、主人公の苦悩を通して、したことへは責任を負い、未来には希望を持つことを描いています。戦争や、当時の社会問題をあつかった小説は、歴史の流れとともに現代社会にそぐわなくなり、当時の作者の意図が受け入れにくくなることがあります。ニンさんの感想を聞いて、時代も国も違う作者の想いを、彼女は素直に受け取ってくれたんだなぁと、思いました。
GOCAでは、こども学習支援教室、各国の文化紹介の冊子づくり(世界のアートテーマの企画・世界各国のパネルと冊子の展示)への協力といったボランティア活動をしています。
「こども学習支援教室のアシスタントとして初めてきた時、皆さんが「ニンさん」と呼び掛けてくれて、驚きました。覚えにくい外国人の私の名前を、皆さんが知っていて嬉しかったです。私も皆さんの名前を早く覚えられようになりたいです。こども学習支援教室では、こどもへの教え方、こどもたちの側から見るとどうなのか知ることができ、勉強になります。世界のアートテーマの企画展示も、その展示に合わせた冊子も、GOCAのご担当の方が作ってくださいました。私はその中の母国ミャンマーの部分で、バガン寺院を紹介するコメントを書き、お手伝いさせていただきました。バガン寺院は、日本の京都のように、ミャンマーの古い寺院や伝統が残っていて、歴史を感じる場所です。そのため、このような冊子を作成していただき嬉しいです。」

バガン遺跡とニンさん
世界のアートテーマはおもしろくて、いろいろ見てまわっていた時に、ニンさんの名前を見つけたので、話を聞きました。こうした形で外国の方が関われるのはいいなぁと思いました。ミャンマーの昔話「四つの人形」が載っている本を見て、「有名な昔話で、バガン寺院と関係がある」と話してくれました。いつも周りへの感謝を忘れないニンさんと、自身も周りの人々も幸せになる昔話からは、同じあたたかさを感じました。
日本で暮らしてどう思いましたか?
「日本に来た時、日本はマナーがよく、きれいで、暮らしやすいと思いました。電車内は静かで、街は人も車も多いけれど、空気がきれいでゴミがないです。その街の状態がとても好きで、街を歩くだけで魅力を感じます。日本に暮らしていくには、日本のルールを守る必要があると思うので、私も心がけています。」
日本で困ったこと、こうあった方がいいということはありますか。?
「おそらく外国人という理由でじっと見られたときは、困りました。日本人は、「相手に直接言うのが失礼」と思って、ルールに反する間違った行動をしても、あまり指摘してくれません。改善したくても、何が間違っているか分からないので、理由を直接説明してもらえると、嬉しいです」

日本の景色(富士山)
ニンさんは、日本が本当に好きで、日本文化を少しでも理解しようと努めています。外国人相手に、言いにくいことを伝えるのを躊躇してしまうことは、私にも思い当たることでした。母国から離れ、日本国と人々に敬意を払ってくれる彼女に、寄り添える社会でありたいです。
今までを振り返って、何か思うことはありますか?
「私は、恵まれたと思います。奨学金制度がなければ、私がどんなに勉強しても日本に来ることができませんでした。今も感謝しています。また、家族にも恵まれました。ミャンマーにいたころ、一日の勉強を終えて、家族と話すのは楽しくて、気分転換になりました。日本に来た時も、親が励ましてくれたおかげで、安心して勉強を続けられました。今も、日々応援してくれています。奨学金の財団の例会があるときには、ミャンマーの服装に、親が送ってくれたものを身に着けて行きます。」
将来の夢はなんですか
「興味があることも、好きなことも、日本語です。自分の好きなことを仕事にしたいから、日本語教師になるのが夢です。将来は、日本で就職したいです。そして母国のミャンマーでも日本語を教えたいです。今は、より専門に学ぶために、大学院への進学を目指しています。国際部の学生でもあるので、NGOやNPOにも興味があります。そのため、日本語の教師をしながら、地域の翻訳ボランティアのようなミャンマー語を教えることもやりたいです。そして、留学生や外国人が来たときは、自分にできることがあれば協力したいと思っております。」
インタビューを終えて
彼女の日本語の勉強に対する真摯な姿勢と、周りへの感謝の気持ちを忘れずに、様々なことに日々挑戦し続けていることが伝わってきました。彼女は、日本が本当に好きで、日本文化を少しでも理解しようと努めています。今後、彼女が日本語教師になって、どのような活動をしていくのか、楽しみです。母国から離れ、日本という国と人々に敬意を払ってくれるニンユヤさんに、私たちも寄り添える社会であることを願います。
(隣の外国人取材ボランティア 藤村 洋子)


Vol.29 ニン ユヤさん(ミャンマー)
